【千代(仙台)に及ぶ慈しみ』:申命記5章11節

戒の第二戒は「偶像」を造ることの戒めである。「どういう意味かわかる?」とT君(小学校4年生)に聞くと、「神さまはいつも一緒だって意味さ」と解答。脱帽である。偶像を祀ることは場所が限定されるばかりではなく、ともすれば個人のみならず、結局子々孫々背負わされる事にもなり得る。聖書の示す真の神はわれらと共におられ、われらを背負われるお方(イザヤ46:3-7)だ。▼この戒めは、神を愛する者には、幾千代に及ぶ慈しみが約束されている。伊達政宗は一時期であるがキリスト教を推奨した。以降、神の慈しみは時代を超え今もこの地にも及んでいる。押川方義はわが国初のプロテスタント教会を組織した一人であるが、牧師、教育者として仙台の東北学院、宮城学院を創立し、幾多もの学生に影響を与えた。▼長男は大河ドラマ「いだてん」に登場する押川春浪で、かつて夏目漱石と人気を二分した日本初のSF小説家である。次男の押川清に至っては、日本プロ野球創設者として野球殿堂入りをしている。神の慈しみは多岐に及ぶのだ。▼今、この教会に置かれているわれらも神の恵み、慈しみのもとにある。この地域に、この国に神の恵みが広がる事を信じたい。   

 <2019/7/28牧師コラム/先週の説教より