教会員の声(体験談)


Kさん(女性)

 光台教会は1966年にこの地で伝道を開始しましたが、我が家もほぼ同時期に、この近所に引っ越してきました。当時は開拓間もない頃で、周辺に子供の気を惹くようなものは何もなく、導きのままに!この教会の教会学校に通い始めました。3年ほどの短い期間でしたが、初代宣教師のボートライト先生ご夫妻はとても優しくまたユーモアに溢れた方々で、当時幼少期だった私には、教会での楽しい思い出がたくさんあります。

 

 時は飛んで18歳。苦労して念願の大学に入ったものの、日々虚無感を抱くようになっていました。「生きる」ことの原点を探っているうちに、幼い頃、純粋に神様を信じて疑わなかったあの時のイメージにたどり着き、ここに導かれるエピソードもあって、再び南光台教会を訪れました。そして1年半の求道ののちバプテスマを受けました。

 

信仰告白には、「何かに必死にしがみつこうとすればする程、水の底に沈んでいくという思いの中、しがみつくのをやめ、手を放したとたん自然に体が浮き上がるような思いになった」とあります。み言葉には「重荷を下ろしなさい」と。そして、「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、主により頼むものは新たな力を得、鷲のように翼を張って上る」と。神様の果てしない愛に包まれ、深く力強い眼差しに見守られていること、そしてそれを執成してくださるイエス様がいてくださる事に気づかされた瞬間でした。さらに、「太陽の暖かさは日陰にいたのではわからない」という言葉をも実感させられました。

そして、信仰の道とはいえ、当然紆余曲折の、恵みも試練もあっての40年が過ぎ、今に至ります。

 

私は祈るとき、例えば親しい人に電話をするように、イエス様に思う事を打ち明けます。時や場所を問わず電話して導きや慰めをいただきますが、時には、神様の存在が言うならば超宇宙的規模なゆえに、私からは見出だせず、遠く沈黙されておられるようで、途方に暮れることもあります。そして「信仰」という事柄そのものが、しょせん人間世界の秩序維持のための造り事かもしれないとの諦観の思いがよぎることもあります。でも、神の存在は確かに「ある」と感じますし、そうして歩むことが、とてつもなく豊かな生き方をもたらしてくれるとの確信があり、そして何より、振り返れば感謝しつくせないほどの恵みを与えられていることにも気付かされます。最近立て続けに我が家に起こった事ですが、家族が危機に瀕したときにも、不思議と、教会の方々を通して神様が救いの手を差し伸べてくださいました。振り返れば、まさに感謝に堪えません。

今、隣人との交わりが難しい時期ですが、人と人との関わりからしか頂けない大切な恵みを、互いに分かち合える時が来ますようにと祈っております。2022.4.24     

 

 

 

 

Aさん(女性)

 

29歳の暮れに3人の幼い子どもを抱え、離婚してシングルマザーとなりました。

元夫は養育費を2年程送金してきた後、連絡が途絶えました。

 

私のきょうだいは、生まれつき心臓が弱く、様々な病気を抱えていて、母も昼夜付きっ切りでした。そのような状況でしたので、小さい頃から甘えることは許されず、また父は若年世アルツハイマーを発症し、家族に頼ることは一切出来ませんでした。

 

育ち盛りの男の子を育てるには、想像以上のお金が掛かり、いつも支払いに追われていました。

ようやく目処がつき、ホッとしたのも束の間、古くからの友人を通しての投資話に騙され、さらに家族が詐欺に遭い、大きな借金を背負ってしまいました。

 

日中フルタイムで働いた後、夜も2時3時まで睡眠時間を削って働きながら必死に返済しました。そんな無理がたたったのか、その後の健康診断の結果は思わしくなく、癌も発見されてしまいました。張り詰めていた気持ちが途切れ、もう頑張れない、疲れた・・・。いっそ死んで楽になれたら、そう考えるようになりました。

 

そんな苦しみの中で、ふと教会に行ってみたいと思ったのです。思い切って、この南光台教会を訪れたところ、もう私が来ることをわかっていたかのように、牧師先生の温かい笑顔に迎えられ、なぜか涙が溢れたことを思い出します。

 

今まで、自分の辛い気持ちを話したり、助けを求めるのは弱い人間だと、自分を奮い立たせて我慢してきましたが、礼拝に参加し、聖書に触れ、先生との面談の中で、少しずつ心の痛みが、やわらいでいくことに気付きました。

 

 

「疲れた者、重荷を背負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」

マタイによる福音書11章28節

 

この言葉で、どこにいても居心地が悪く、居場所がない孤独を感じていた自分がやっと心安らぐ場所に辿り着いたことがわかりました。

 

そして強い自分であり続けなくていい。弱い自分を見せてもいいと、神様は教えてくださいました。そして、私はイエス・キリストを自分の救い主と信じ、2019年の2月に洗礼(バプテスマ)受け、新しい生活をはじめました。こんな私でも神様は深く愛し、いつも見守ってくださっています。生涯を通じてイエスさまに従い、成長していきたいと思っています。

 

この教会に導いてくださった神様、温かく迎えてくださった教会の皆様に深く感謝を申し上げます。