『神はわれらの逃れ場』:詩編62:1−9節

欲の秋というが、味を豊かにする最高のスパイスは「空腹」である。どのような旨味を醸し出す調味料も「空腹」には敵わない。世の中で人生を豊かにする出会いは多くあろう。しかし人間は時にどんな物や人も満たされぬ欠乏、霊的な空腹を経験する。数学者・物理学者であり発明家のパスカル(1623-1662)は、聖書の示す神との出会いに涙しながら「歓喜」に満たされた。神以外の何物によっても埋まらぬ心の空腹領域、即ち「渇望」を経験する時、そこでこそ、われらは歓喜の泉、神の愛と慰めに出会うのだ。だとすれば、渇望は最高の恵みとなり得る。

ダビデは王からの妬み、子らの反逆により荒野に追いやられ、長期にわたり身の置き場がない命の危険、人に信頼することのできない状態を余儀なくされた。だが、彼はそこで神を渇望する信仰が養われ、真の安らぎを得る居場所を見出していった。われらもこの世で生きる限り恐れ悩みは尽きず、どこへ逃れようと安心安全神話は崩れゆく。そのような現場で、詩編の言葉はわれらを神へと導く。「神はわれらの逃れ場」と。まことの逃れ場は救い主、イエス・キリストのもとにある。(マタイ1128節)わたしのもとに来なさい。わたしを呼べ。と主は招かれる。どこを向いているのか、あなたの救いはわたしだ。あなたの望みはわたしにある、と。どのような危機、苦難、窮乏、孤独にあっても、向かうべき恵みの場所が備えられている。あなたに向かって広げられた両手、主の愛から引き離すものはない。(2019.10.27礼拝説教より)