『恐れることはない』:ルカによる福音書11章26−38節

エスの母となったマリア。今でこそ聖母とも称されるが、当時の彼女は結婚前に夫によらない子を宿す身。それは社会から差別を受け、排除されてしまう者となることを意味する。しかも乙女のまま、聖霊による妊娠という。前代未聞、普通ではない。同じ女性、妻、母親であっても<訳あり>となるのだ。真実を口にしたところで誰が信じるだろうか。ある意味、差別される側に置かれたのがマリアでもあろう。しかし、天使は「恐れることはない」と彼女に告げる。自分だけ・・・。そう思わざるを得ない出来事にわれらは恐れを抱く。周囲との比較の中で自分一人違っている、取り残されている、そう思うと恐れが心を占める。また、将来に不安を抱えるとき恐れを抱く。だが、まさにその心にイエスが宿られる。福音書を読むとイエスは差別を受け、社会的に排除されようとして孤立する者に近づき、共に歩まれた。その意味ではイエスは真っ先に駆けつけるようにマリアの内に宿り、生涯彼女に寄り添われたのだ。世の中には、誰にも言えない自分にしかわからない事実のゆえに、心傷つき、理解されないまま置き去りにされてしまう人がいる。クリスマスキャロルは「イエスよ、心に宿りたまえ」という祈りに満ちている。「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」(ルカ130)マリアのみならず、今もイエスは信じる者の内に宿りたもうお方である。(2019.12.15礼拝説教より)