『恵みの一雫』ローマの信徒への手紙5章12−21節

浜に停泊しているクルーズ船。最初はたった一人の感染者であった。当然その方も被害者であるのは自明の事だが、たった一人の存在によって多くの方がたに影響が及んだのだ。聖書には「一人の人」によって「罪」が世に入り、死がすべての人に及んだという(ローマ5:12)。仮に「罪」という存在をウィルスに喩えるならば、一人の人によって全人類が罪に感染、致死率は100%・・。という事であろうか。最初の人、アダムは自らの意志で神に背信したが、非を認めず責任転嫁をし、自らを神と対等の位置に捉えて正当化した。このような自己絶対化は神に対する罪となり、それが神と人との関係、人と人との関係、更には自然との関係までも破壊させる。アダムは人間と同義である。一方、主イエスは天からのアダムとして地上に降り、己を捨てて十字架にかかり、神への全き従順により救いの道を開かれた。「 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」(同19節)もはや罪という名のウィルスはキリストが十字架で流された血の雫により、あたかもワクチンのように信じる者に救いをもたらしてゆく。この恵みは雫のように上から聖霊として注がれ、われらを和解と平和をもたらす主イエスの似姿へと造り変えてゆく。一雫、一雫がやがて大河となるように、日々主を求め、他者を潤す者でありたい。2020.2.16