『復活の主イエスと共に』<イースター礼拝>:ルカによる福音書24章13−35節

「暗い顔つき」で歩いていたエマオ途上での二人の弟子。かつて抱いていた希望が総崩れとなり、失意と落胆から来る表情であろう。そこへ復活のキリストが近づき、共に歩み始める。かれらは一緒に歩くお方が主イエスだと気付かない。だが、共に歩むうちに心燃やされ、明るさを取り戻し、遠ざかっていた群れに再び向かう原動力となっていった。われらも二人の弟子と無縁ではない。集まりが遠ざけられ、目が遮られており、主イエスが共におられることに気付かぬまま、不安の中で顔を強張らせ将来に暗澹たる思いを宿している。しかし、主は生きておられる。きょうも私の側に近寄り、一緒に歩んでおられる。疲れ切った夕暮れ時には癒しを、悲しみのあるところに慰めを、望みを失ったところに確かな希望を種蒔いていかれる。非常事においては、生きるために必要なものの真価が問われ、淘汰されていく。われらの信仰において無くてはならぬ最も大切な福音の拠り所は「主イエスの復活」の出来事である。2020.4.12