「見よ、わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる〜復活の主イエスと共に⑥」: マタイによる福音書28章16−20節

「Good byeという別れの挨拶は、God be with ye(you)が短縮された言葉と言う。相手の無事を願い、決して孤独でない事を意識化し得る激励とも言えよう。マタイによる福音書では「インマヌエル(神はわれらと共におられる)」という言葉を最初から最後まで貫き、福音の総括として伝える。目下、教会における礼拝の結びの祝祷では詩編121編が朗読される。この世の中がどのような状況下にあろうとも、たとえ世の終りに思えるような事態となろうとも、われらの助けは天地を造られた主から来る。このお方は不眠不休でわれらと共におられ、とこしえに見守られるお方である。ボンフェッファーは「忘却は愛のない時に生じる」と語っている。愛のひとつの側面は常に相手を覚え、心にかけ、決して忘れない。われらは神が共におられることを忘れ、気付かない事がある。だが、神はそのような時でも変わらず常に愛をもって、忘れず、常に覚えて「共にいてくださる」のだ。「思い煩いは何もかも、神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(Ⅱペトロ5:7)と聖書は語る。復活のイエスは「わたしはアルファであり、オメガである(最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである)。」(黙示録22:13とご自身をわれらに示しておられる。「見よ、わたしは世の終りまであなたがたと共にいる」この言葉は神の真実、誠実なる約束である。試練の時、病苦にある時、困難や悲しみ、そして回復と喜びを迎える時も、時宜に叶うよう全てを備え、愛のうちに一切の必要を満たされる。最初から最後まで神は共におられる。あなたは一人ではない。(2020.5.17)