『福音のはじめ』:マルコによる福音書1章1−11節

 ▼横田めぐみさんの父親である滋さんの葬儀がキリストの教会で執り行われた。当時中学1年生であった娘が拉致被害に遭い、これまで半世紀近くも被害者救出を訴えて来られた。妻の早紀江さんは娘と同級生の母親から聖書を勧められた時、「泣いて苦しんでいるのに、こんな小さな字の本をどうやって読めるのか」との思いを抱きつつも教会に通い始め、めぐみさんが成人した1984年にバプテスマ(洗礼)を受けておられる。「キリスト教なんかわからない」と言っていた滋さんも2017年に入信された。愛する娘を奪われ、恨みや憎しみに満ちても不思議ではない。しかし加害者を呪うような生き方から、回心を祈る生き方へと導かれていった。キリストの福音を信じ、信仰を持たれたこのご夫妻、記者会見においても「滋さんは天国に生きました!」そこで再会できるのだ、という大胆な希望を語ることができるのは、イエス・キリストによる福音に裏付けられた、神の救いの約束から来る根拠のある確信といえよう。私たちも神の愛のもとで、同じ希望に招かれている。▼公生涯のはじめにバプテスマを受けられたイエス。彼は回心や悔い改めが必要であったのではなく、私たち同様、救いを求めて苦しんでいる人たちの哀しみを共にするためである。かつて出エジプトの際、民は水の中を通って救い出された。道なきところに道が備えられたのだ。イエスも私たちの道として公の歩みを始められた。「福音のはじめ」それは主イエス・キリストが私たちと共に生きる道を歩まれたという出来事からはじまる。(2020.6.7)