『感染者?と触れ合う主イエス』:マルコによる福音書1章40−45節

「重い皮膚病」と訳された「ツァラアト」。以前は感染力の強い病とされたが、実際は感染力も遺伝性も立証されていない。COVID-19では2mだが、当時この患者は数キロレベルのソーシャルディスタンスが要求された。社会から隔離されてひとり孤独に暮らさねばならず、人前に出ようものなら「私は汚れた者だ!私から離れろ!」と叫び、自分が感染源であることを叫ばねばならない規定があったのだ。(レビ記13章参照)さらに罪人に対する天罰的な病とされていた。当時は患者に触れると汚れに感染し、罪が移るという認識だった思われる。だが、主イエスはこの患者と触れ合う。そして「深い憐れみ(感情が強く突き動かされる様子)」で、いわば感染者に手を差し伸べる。この病を罹ったばかりに受ける想像を絶する身も心も張り裂けそうな苦しみ、腸が千切れるような痛み、それをもたらすものに対する憤り、主イエスは感染者とされる者と苦痛を共にされるのだ。そして主イエスは言う。「わたしの心だ、きよくなれ」するとたちまち、患者はきよくされた。主イエスとの出会いには真の触れ合いがある。そこでは命、生への共有、共鳴がある。主イエスは苦しみにある者の痛みに触れると同時に手を差し伸べられ、ご自身のきよさ、喜び、望みと力を供給される。(2020.7.5)