『新しい革袋』マルコによる福音書2章18−22節

「目からウロコ」「豚に真珠」等。いずれも出典は聖書である。「新しいぶどう酒は新しい革袋に」もその一つ。「新しい思想や内容を生かすためには、新しい形式が必要」という意味で使われている。イエスのおられるところでは祝宴のような喜びがあり、楽しみがあり、感謝の歌声が響く(イザヤ513)世界が実現していた。一方、正しさを巡って、昨今のマスクや自粛警察と呼ばれるような存在から非難の的とされたイエス。そこで語られたのが上記の言葉である。イエスにとっての関心事は、相手に正しさを強要する関わりではなく、ただありのままの人間を愛し、共に歩むことであった。それゆえイエスは正しく生きる事ができず、罪人とされた人々の重荷、悲しみ、そして他者の罪を背負う者となられた。そこにイエスの正しさ、罪なき姿がある。「新しいぶどう酒」はイエスご自身と深く結び付いている。「ぶどう酒」は当時も常飲され、祝宴には欠かせない存在である。形式によらない新鮮で豊かな喜びをもたらす源泉は、「主イエスが共におられる」という恵みから到来するのだ。コロナの時代、「新しい生活様式」が推奨される。「新しい革袋」が必要だ。今までの常識が通じず、発想も根本から転換が求められる時代にあって主の招きがひときわ新鮮さを増す。われらが時に変化を受け入れられず、喜ぶことが困難な状況にあるからこそ、主イエスと共に歩む道に招かれている。この方に絶えず心を向けて歩む日々にこそ、活き活きとした喜びが発酵し、芳醇なる感謝が熟成されていく。共におられる主イエスを喜ぶ心。それは新しい革袋としてどのような変化のある時代にも潤いをもたらす福音となるのである。2020.7.26