『主イエスが選ばれた弟子たち』マルコによる福音書3章13−19節

使徒たちの「任命」。原語では「つくる」という意味を含んでいる。それは物事を仕上げる側に主権がある事を意味する。弟子たちではなく主イエスが選び、つくりあげられるのだ。「つくる」という作業は、手掛ける対象から離れては完成しない。その意味では使徒たちは<主イエスと共にあって>こそ「使徒」なのである。使徒を選んだ主イエスの目的は、ご自分の側に置くためであり、主イエスの働きを成すため派遣し、人々を悪しきものから解放する特権を与えるためであった。主イエスはが選ばれた弟子たちは実に多様である。性格も職業も出身地も同一ではない。兄弟同士もいるが、互いに相容れない対立関係にあると思える面々もいる。あたかも教会の縮図のようだ。教会は一人ひとりが主イエスによって選ばれ、集められている。過去や何かに優れた能力や実績が求められているのではない。ただ主イエスの側にいる事が求められているのだ。われらには違いはあっても、イエスを主と告白する信仰告白共同体であり、悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と共に喜ぶ運命共同体である。どうして良いかわからない時でも祈りを集め、主イエスのもとへ委ねる事が出来るのだ。祈りしかできないのではなく、これこそが最大の特権なのだ。主イエスは手掛けられる事を決して放棄されない。必ず主が万事につき善きもの、愛、喜び、平和をつくり、仕上げられるのだ。(2020.8.30)