『「一人」を救いに』:マルコによる福音書5章1−20節

現在放映中のNHK朝のテレビ小説「エール」。主人公は「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」などを作曲した古関裕而がモデルという。『彼が生み出す「鐘」の名がつく楽曲は、教会の鐘の音が原点なのかもしれない。』(刑部芳則著「古関裕而〜流行作曲家と激動の昭和」中公新書)古関の生家のすぐ側には教会(現、福島新町教会)があった。ドラマの中で主人公の恩師が語る台詞がある。「誰か一人に向けて書かれた曲って、不思議と多くの人の心に刺さるもんだよな・・・。」(74話より) たった「一人」のためにささげる曲が、不思議と多くの人の心に響くのだと・・。群衆を後に残し、湖を渡り暴風雨の嵐を抜けて辿り着いた一行は、「一人」の苦しみに囚われた男と出会う。もはや人々の手に負えず、自虐行為にまで及び、誰も救うことができずに見放されていた孤独な「一人」の人間を、主イエスはその苦しみから解放し、救いと自由を与えられた。あたかも「一匹」の迷い出た羊を捜しに、他の大勢の羊たちを置いて出かける羊飼いの姿に主イエスが重なる。岸辺に残された群衆は、きっとこの話を後に知り、「一人」のために行動される彼の姿を知る事となろう。全体主義という言葉があるが、個人よりも全体の都合や利益を優先する考え方が基本にある。業績を上げるためには個々の諸事情など顧みられない。戦時下では「一人」の命よりも国家が大事とされ、そこではお国のために犠牲になる思想さえ蔓延った。「一人」の命は、大勢の命と連帯している。一人の救いは、万民の救いに等しいものだ。一人の救いは、天にいる幾千万ものみ使いの喜びに優る。主イエスは実に、「一人」を救いに出て行かれ、そして「一人」を今日も愛される。その「一人」とは、「わたし」であり、「あなた」である。(2020.11.1)