『拒否されてもなお』:マルコによる福音書6章1—6節

ガリラヤ地方で一躍有名になったイエス。現代に置き換えるなら彼の動向はトレンド上位を独占。本人の意向とは別に多くのフォロワーの支持を得る。一方、地元では彼の素性を暴露するかのような声が相次ぎ、故郷の人々はイエスに躓く。小さい頃からよく知っており、家族構成や職業など身近な情報もよく知っている仲間だったからだ。遠い存在ならば尊敬できても、肩を並べ得る同等の知り合いが出世したり名声を得るとその関係に生じるのは嫉妬なのかも知れない・・。地元で拒否されるかのような対応に対して彼は、「預言者は、自分の故郷、自分の親族、そして自分の家以外のところならば、<尊ばれないことはない>」(岩波訳)と語る。結語は二重否定になっているが、原文ではイエスは郷里の人々を責めているのではなく、むしろ肯定的で「ここ以外ではどこででも尊敬されている」という事に力点がある。人気芸人コンビ「ぺこぱ」ではないが、どこまでも相手をフォローするような肯定だ。拒否されてもなお、相手に居場所を与える言葉。後にここに登場するイエスの身内は、原始キリスト教の信仰者としてその存在を今に伝える。自分の家以外では尊ばれるエビデンス。それはただイエスを救い主と信じ、自分自身ではどうする事もできない困難の中にあって主イエスのもとにひれ伏す者たちよって明らかにされる。直前に登場するヤイロや長血の女のように。(2020.11.29