『新しい力を得て』イザヤ書40章28-31節

Mさんはかつてキリスト教学校で学んだが、卒業式の日に「聖書」を封印。神の言葉を排除し、自らの価値観で得られる道を選んだ。結婚をして育児をしながら幸せに生き、家族の幸せのためには努力を惜しまなかった。指導力のある姑との関係に悩んで心身の健康を崩しても、カウンセリングを受けて自ら立ち直った。自分と家族の幸せを保証したいと欲求はエスカレート。だがいつも何かが欠けていたという。得られた情報に振り回され、何が真実か求めていたある日。家事をしながらふと、排除したはずの神の言葉を思い起こし、教会へと足を運んだ。虚無感にとらわれる日々、足りない最後の一つが見つからないのではなく、もっとも必要な一つの事に気付かされた。再び聖書を手にしたMさんは主イエス・キリストを求めて生きる道に新しい命と望み、力を得た。・・瓦礫の中、鷲がじっと上を凝視している。一瞬身を縮めたかと思うとスパーンと大きな翼を広げて空高く舞い上がって行った。鷲は何を待っていたのだろう?風を待っていたのだ。気流に乗った鷲は、大空を自由に優雅に羽ばたいている。自らの力を落とした時に、疲れ果て望みが絶たれたかに思うその先で出会う恵みがある。それは、主を待ち望む者に与えられる新しい力である。われらも主を待ち望む時、失意や嘆きの先に神が用意される自由で喜びの場所へと運ばれる。信頼の翼を広げて恵みの気流に乗り、本来向かうべき場所に運ばれていくのだ。(2022/5/1)

2022/5/1(日)講壇生け花 by YOSHIKO