『なおも望みを抱いて』:ローマの信徒への手紙4章17—21節

読書の秋。聖書は「神が語る約束は必ず実現される」という証言の集大成だ。信仰の父と呼ばれるアブラハムだが、彼はスンナリと神の約束を信じきれた訳ではない。創世記を読むと彼は自己保身のために同じ過ちを繰り返している。神の約束による希望より、目前に迫る現実的脅威を恐れたのだろうか・・。希望が示されても、全面的に信じきれないのは、われらも同じだ。キリスト信仰は本質的に希望である。「なおも望みを抱いて」(18節)とあるが、希望とは方向転換のわざである。いつの時代でもわれらを取り巻く現実は喜びや感謝を奪い、生活不安や将来を懸念させる方向へ招く。ゆえに最悪なものを見ようとする心を転換し、何度でも希望に立ち帰らねばならない。18節は原文によれば「希望に反して希望において信じた」という二律背反だ。目の前の現実と望みとが矛盾なく一致しているから信じるというのは、聖書の語る希望ではない(ローマ8:24)。なおも望みを抱く事は、現実から目を逸らす事でもない。目前に仁王立ちする現実を直視しつつも、神の約束の言葉の真実さに心を向ける事。たとえ微かであっても針の穴のような隙間から圧倒的な神の言葉の真実が事柄を起こすのである。われらはいつ、如何なる時でも「なおも望みを抱いて、信じる」この希望に招かれているのだ。希望はわれらを欺かない。


2022/11/20(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO