『愛に抱かれている人生』:詩編139編1-10節

「自分の事は自分がよく知っている」と人は言う。詩編139編の詩人はそれ以上に、創造主である神が自分を知り尽くしておられる事に心を向ける。座るのも立つのも知り、語る前に一切を熟知しておられる。何処へ行こうとも先回りしてそこにおられ、振り返っても人生のすべての道に伴っておられる。5節には「前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置く」とあるが、「御手」は「掌」の意味である。怒りや暴力の象徴である「拳」ではなく、祝福と慰めの象徴である抱擁、愛に抱かれている人生への気付きである。山田火砂子監督の新作映画「われ弱ければ〜矢嶋楫子伝」では、楫子をミッションスクールの校長に抜擢したツルー宣教師とのエピソードが描かれる。過失により校内でボヤ騒ぎを起こした楫子の責任問題を追求されるべきところ、ツルー宣教師は彼女を責めるのではなく、抱擁をもって彼女を包んでいく。愛に抱かれた楫子は1879年に信徒となり、極端な男尊女卑の差別社会にあってキリスト教精神に基づいた女子教育に尽くし、女性解放運動の先駆者となった。90歳の時には米国で軍縮会議に出席し、世界平和を強く訴えている。アドヴェントを迎え、今週から世界バプテスト祈祷週間に入った。世界の諸課題を覚えて愛と平和を祈ろう。(2022/12/4)


2022/11/27(日)礼拝講壇生花 by ISHIMARU