『平和憲法をつくった鈴木義男とキリスト教』エフェソの信徒への手紙6章10−18節(2023.2.26)

経済新聞に「次世代を考えない政治の劣化」という見出しがあった(22.12.31付)。いつの時代でも政治家の質が問われるが、わが国の人権を守るため恒久的平和を熟考し、大正デモクラシーを戦後民主主義につなげた国会議員がいた。平和憲法成立のため多大な貢献をした鈴木義男(1884-1963)である。東北学院(キリスト教主義学校)出身の彼は、東北帝国大学の教授になるが政府批判をした事で結果的に教壇を追われる。弁護士となってからは一貫して社会的弱者の側に立って活躍するが、人権を守るのは政治を変えるしかないと政治家となり、大臣として憲法の審議に携わる。当初GHQや政府の草案にもなかった「平和」の文言が加えられ、国民主権を加えたのは彼の功績だ。「全国民は今日以降、主権者となったのだという自覚をもたねばならない。しかしその思想は盲目であってはならないのであるから、よい政治の主人公たるべく、大いに勉強し修養しなければならない。よい政治は自覚の高い国民によってのみ樹立されるのである。」(新憲法読本より)召される直前、「わたしはキリスト教の精神を子どもの時から身につけてきたために大分損をしたよ」と言って心から嬉しそうに微笑んだ、という。何が正しいかは神のみが知り、歴史が裁く。愛と義の政治家として彼は損ばかりした。けれども、そこには後悔ではなく、満足があり、喜びさえ見て取れる。次世代からさらにその先まで、私益ではなく、全世界に公益をもたらす平和をつくりだした生涯。神のしもべとして生きた偉大な先達がいたことへの敬意が尽きない。(2023.2.26(日)


2023.2.26(日)礼拝講壇生花 by  ISHIMARU