
「泥かぶら」という話。ある村に顔が泥まみれのように醜いため、「泥かぶら(泥んこ大根)」と呼ばれていた少女がいた。嘲笑の的となり意地悪をされる日々。「綺麗になりたい」と慟哭する彼女はある日、旅の老人に出会い美しくなる秘訣を教わる。①いつもニッコリ笑うこと②人の身になって思うこと③自分の顔を恥じないこと。この3つの言葉に生きようとする少女は時折、川面に映る自分の顔を見るが、全然変わらない。けれどもあきらめずに続け、何年も経過するうちに彼女は働く喜び、感謝される幸せを知る。いつしか彼女は優しさと思いやりのある心の美しい村一番の人気者になっていたという話だ。(作:真木美保)ルッキズム(外見至上主義)がSNSの普及と共に幅を利かせている現代、ビジュアルで勝負するのもよいが、見えないものにこそ目を注ぐ心の修練、それがどんなに他人との比較、嫉妬やコンプレックスからわれら自由にすることだろう。人が生きるのは、良くも悪くも言葉による。ルカ7章には「言葉」の権威に関連する共通記事がある。ひとつは、百人隊長の「言葉」への信頼。もう一つは主イエスの「言葉」の確実性だ。ヘブライでは「言葉」はそのまま「出来事」を意味した。神は言われた。「光あれ」こうして光が生じた。(創世記1:3)神の言葉にある生命、それは心の灯火、足元を照らす道の光。遠い未来は見通せないが確実に今日を歩み出す一歩を導く。人はパンのみで生きるのでなく、神の口から出る一つ一つの言葉により生きる。(マタイ4:4)