『不正な管理人?』: ルカによる福音書16章1–13節

聖書にある「不正な管理人のたとえ」は、主人の財産を撒き散らしていると告げ口された管理人がクビの直前、債務者の借金を減免し将来の居場所を確保した物語だ。主人は彼の抜け目のなさを褒める。不正を容認したのではない。破滅の危機を前に、残された資源を「人とのつながり」へと投資したその「賢明さ」を評価したのだ。ここで語られる富(マモン)の語源は「アマン(信頼する・拠り所とする)」にあり、祈りの結びに唱える「アーメン」と同根だ。人間が何に全幅の信頼を置くのかという問いがここにある。富の奴隷となるか、神に仕えて富を支配するかが問われているのだ。今年創立140周年を迎えた東北学院。初代副院長の宣教師W.E.ホーイは相続するはずの遺産を放棄して1885年に来日し、自ら私財を差し出して学校を建てた。また、未亡人の香味ちかが、校舎建設のために老後資金の銀貨12枚を捧げた逸話は今なお語り継がれる。彼らは富を神からの預かり物とし、富ではなく神に仕える道を選び取った。現代世界は紛争や核、AIの脅威など、人類がマモン(利権)を主人として拝んできた結果の構造的破局に瀕している。「神と富との両方に仕えることはできない」と聖書は断言する。われらはみな、やがてこの地上での任期を終える「管理人」だ。真の拠り所である神を信頼し、託された命や資源を隣人への愛のために用いる良き管理人でありたい。(2026.5.31)