『時の支配者〜復活の主イエスと共に⑦』使徒言行録1章3−11節

「時の政権」という言葉を聞くが、世界中の国の指導者が権力を独占するケースが増えている。民主主義の視点において危惧する声があがる一方、国民に利益が得られるならば構わない、と問題視しない声もある。古今東西、国民が自信を失い、不安や弱さを抱えていると強いリーダーシップに惹かれてしまうのだ。ローマ帝国による圧政からの救世主と人々から期待されたイエス。彼は無残にも極刑によって処罰される。しかし「復活」によってあらゆる世の支配から解き放たれ、強大な時の権力によっても滅ぼされない「神の国」が示された。弟子たちはこのタイミングでイエスが国を再建すると考えた。だがイエスは聖霊を待ち望むようにと指示をされる。聖霊の働かれるところでは、イエスの人格、生涯においてあらわされた神の国(支配)が到来する。嘆き悲しみが喜びに、苦しみが救いに、絶望が希望に変えられていく。上に立つものがすべてを仕切り、意見の合わない者を排除したり、暴力で弱者を虐げる国ではなく、上に立つ者が一番下(しもべ)になって仕え、人々を救う世界。如何なる者であろうと見捨てられず、その尊い命の価値を認められて誰もが愛される世界だ。世にある権力は永続しない。しかしイエスの支配は終わることがない。復活のイエスは聖霊として今も働いておられる。われらはこのお方に従い行く。その時、われらは気付くであろう。この世にあっては神の国の住民とされており、手元には必要な恵みが速やかに給付されている事を。「時(タイミング)」というものを人間は支配できないが、神は偶然や出会いをも支配し、時宜に叶った必要な恵みを与えようと導かれる。自らの力によらずとも、「時」を支配される神の愛に信じ、希望と感謝の道を歩むのだ。(2020.5.24)