『権威ある教え』マルコによる福音書1章21−39節

主イエスの教えに人々は驚嘆した。どのような「教え」であったのだろう。あらゆる宗教や教祖などは、その教理(教え)が重要視される。だが、マルコ記者はイエス教えの内容については触れていない。ただ「権威ある教え」に非常に驚く人々の反応が伝えられる。主イエスの教えは、人々を苦しめる悪しき者から解放する「わざ」そのものであった。権威には服従が伴う。悪しき霊、病いさえも主イエスの言葉に服従した。即ち、「権威ある教え」とは実質、人々をその悲しみや苦しみ、悪しきものから救い出す神の力、そのものなのだ。ゆえに「宣教(ケリュグマ)」と呼ばれたのである。主イエスは弟子たちと共に巡回して宣教し、大勢の人々をその悪しき束縛から解放して自由を与え、罪の縄目を解くわざをされた。今もわれらと共に、主イエスは宣教のわざを果たそうと共に働いておられる。(2020.6.28)