皮膚が剥がれ落ち、身体が崩壊していくかのような「ツァラアト」の人を清められたイエス。その話題は今で言えばトレンド入りし、周辺地域に拡散された。数日後、イエスがおられた家では人々が押し寄せ、ひしめき合う状態であった。するとその場所の屋根が剥がされ、一人の中風の人が釣り下される。屋根が崩され、破片が落ちてくる状態は、皮膚が剥がれ落ち、身体が崩されるような症状で苦しんでいたツァラアトの人を連想させる。周囲にいる皆があっけに取られている中、主イエスはすべてを理解したかのように宣言する。「子よ、あなたの罪は赦される」と。身体の神経が麻痺する障がいを負っていたこの人はツァラアトと同様、神から有罪の判決を受けていると考えられていたのだ。罪を赦すことができるのは神以外にいない、冒涜だ、と学者たちの心は炎上。そこで主イエスは罪を赦す権威者として中風の人に、「起きて床を担いで歩け」と命じられる。主の権威は、苦しめれ、虐げられ、自分ではどうすることもできない悪しき束縛から解放する救いとして行使される。人間にとって癒しよりも優先されるべきなのは神から罪に問われない事。不幸や悲しみ、困難、苦しみが神からの刑罰ではないと思える事だ。人は因果応報で、不幸をもたらす犯人探しをするが、そこではツァラアトや中風の人たちのように、いわれもない苦しみを強要され、差別される人たちを生み出す温床になってしまうことがある。しかし、主イエスはその差別や苦しみ、罪からわたしたちを解放される。罪を贖う主イエスの十字架、その権威によって。2020.7.12