『クラウドからの声』: マルコによる福音書9章1−13節

「モーセ。彼は人類史上初めてクラウドから十戒をダウンロードした・・・」聖書ではクラウド、つまり「雲」は神が顕現する臨在の象徴としてしばし登場する。礼拝は神の言葉を天のクラウドから教会というアプリを通じてダウンロードするのに似ているのかも知れない。神の御心を知り、慰めと励まし、生きる勇気と希望を心にインストールするクラウドサービス(礼拝)ともなり得る。高い山にてイエスの姿が純白に変わり、神々しい栄光を目撃したペトロは興奮してか、見当違いなことを口走る。栄光の姿はクラウドに隠れ、そこから神の声が響く「これはわたしの愛する子、これに聞け」もはや、そこには栄光に輝く姿ではないイエスが弟子たちと共にいた。イエスは栄光とは呼べぬ受難の道を行かれる。聖書は天における神の栄光が賛美されるが、神の身分から降りてこられた方は、受難のしもべとして十字架の道を歩まれる。災難に遭わない生き方ではなく、被害者、犠牲者の側にいる姿で地上を歩まれた。不条理と不遇の極み、苦悩する者と共に呻き、涙を流す姿で人々と共におられた。栄光の道を退け、みすぼらしく、貧しい姿で苦しみを受け、排斥され、見捨てられ、敗北、屈辱の極みである十字架にかけられ、殺される道を歩まれた主イエス。栄光の座からの方向転換、受難へと向きを変える姿でメタノイアしたお方。クラウドからの声は言う「これに聞け」と。(2021.4.11)