『イエスの忍耐力、その愛』マルコによる福音書10章32−45節

「(愛は)すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(Ⅰコリント13:7)とある。「忍ぶ(ステゴー)」の本来の意味は「口を覆って語らない」の意と言う。われらは時々愛するものに意見をして悪いところを改めさせようする。だが、愛は相手に変わることを強要しない。ただ信じ続け、望み続け、それでも変わらない場合は「すべてに耐える」ものだと言う。イエスは多くの苦しみを担って嘲弄され、鞭打たれ、死の宣告を受けるという受難の道を先頭に立って進まれる。しかし弟子たちは相変わらず誰が一番偉いかというポジション狙い。今度はヤコブとヨハネが然るべき権力の座に就きたいと願う。三度目の受難予告にもかかわらず、彼らは全く分かっていない。一向に変わらない。自分が偉くなれることを期待し下心を抱いてついて来たのかと思うと愕然とし、イエスにとっては寂しさや孤独感が強まることであろう。にもかかわらず、彼は弟子たちを受け入れ続けて諦めない。ただ信じ、忍ばれる関わりの中で繋がろうとされる。この弟子たちへの忍耐において神の愛が示されている。同様にわれらも忍ぶ愛によって生かされている。 (2021.6.6)