『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』:マルコによる福音書12章18−27節

復活を否定したサドカイ派とイエスとの対話。婚姻関係において当時は男権社会。女性は不利な立場であった。しかし復活においては「めとったり、めとられたり」とすることなく、「天使のようになる」と言う(25節)。天使といえば白い衣をまとい、背中には大きな翼があって男とも女とも特定できない存在のイメージがあるが実際はどうであろう?原文には「天にいる天使」とあり、「天にいる」ということに強調点があるという(田川訳)。死人たちが起き上がる(復活)時には、一人ひとりが「天(神のもと)で、神に仕える存在として(性別も死も超えて)生きることが示唆されている。そのような存在の回復をイエスは「復活」と表現している。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語られる神。古代の族長であった彼らは地上にあっては既に死者である。だが、神の前では生きている存在として語られる。われらにとっては死んだ者であるが、神のもとでは起き上がって今も生きている者として在る。神の前では一人ひとりの存在が重んじられ、たとえ地上の命が尽きても、天に属するものとして起き上がり、神といつまでも共にあるということ。一人ひとりの神として、神のもとに在る。その「神のもとで」、「神に仕えて生きる」ということ。それが生死を超えた永遠の命の有り様なのではないか。愛なる神のもと、いつまでもお仕えするという最高の存在価値にわれらは招かれている。(2021.8.29)