『復活された主イエス』マルコによる福音書16章1—8節

カーリングで使用するストーンは重さ約20kg、価格は一個10万円位。重く頑丈な素材は「墓石」にも使用されるそうだ。日曜日、主イエスが葬られた墓の入り口を塞いだはずの大きな墓石は、脇へ転がされていたという。中に入ると遺体はなく、白く長い衣を来た若者が「あの方は復活された」と告げる。居合わせた女性たちは震えと自失にとらえられその場から逃げ出す。そして「誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(8節)と結ばれる。これがマルコによる福音書の本来の「結び」と言われる。だとするならば、マルコは人間の理性でとらえきれない出来事を弁明しようとしたり、脚色や美化することもなく、ただ空の墓に接した人間の反応をありのまま簡潔に記すことによって、そこに人知を超えた想像を絶する事柄を見ようとしているのかも知れない。だがここに本来の力強さとインパクトがある。そしてこの福音書は読者をガリラヤへと導く。「あの方は、あなたがたを先立ち導いて、ガリラヤへと行く。そこでお目にかかれる」(7節)。「このお方は何者か?」を巡って、われらはガリラヤでの活動(1:1)から、十字架での死に至る(15:39)道筋を辿ることで、真の信仰告白へと導かれる。主イエスは墓にはおられない、復活して今も共にあると。(2022.2.20)    

2022.2.20(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO