『希望の広がり』イザヤ書54章2−3節—新会堂献堂14周年記念—

ウクライナでの戦争、頻発する地震。生活や命が脅かされるようなショックな出来事が相次ぐと、思考も行動範囲も思わず萎縮してしまう。だが神の言葉は、われらの思いと異なる側に導く。望みなき荒廃した大地に、居場所を広く確保するようにとの招き(イザヤ54:2-3)。イザヤ書40章以降、敗戦の悲劇を経験した民への慰めと共に神の救いの希望が語られていく。かつてキング牧師は「すべての進歩は不安定であり、一つの問題を解決しても、我々はまた他の問題に直面することになる」と語った。われらの生きる場所は、どの道に歩もうと安定を欠くのである。黒人差別と憎悪の矛先となって生きる場所を奪われる時代に彼は、憎悪は憎悪を増すだけだと、人間の思いとは真逆にある「敵を愛せ」という神の言葉を説いた。確かに彼は愛を語りながら銃弾に倒れた。だが、今の時代にあっても彼の言葉や夢、希望がわれらの心とらえるのはなぜだろうか。暗黒は暗黒を駆逐する事はできず、ただ光だけができる。ただ神の言葉だけが行き詰まりを駆逐する確かな希望なのだ。神の言葉は決して無に帰されず、神の言葉は現実化する。3/16宮城県は震度6強の地震に見舞われた。教会事務所の棚から1966年定礎式の際に参加者が書き綴ったカードがこぼれ落ちていた。新会堂建築の際に掘り出されたタイムカプセルに入れられていたものである。小さな伝道所として現実は厳しく、環境も最適ではない。にもかかわらず宣教の広がりを望み、新しい希望を託してささげられた祈りの言葉。56年前の色褪せ劣化した紙切れだが、その希望は今、現実となっており、闇夜に光る月のように神の言葉の確かさを照らす宝物となっている。神に栄光あれ。(2022/3/20)

2022/3/20(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO