「将来の栄光」:ローマの信徒への手紙8章18-30節 -宣教開始57周年記念-

ラララ・ランラン・・」楽しく嬉しい時に奔り出る軽やかな歌声。対照的なのは「呻(う)めき」。「う、うぅー」と、苦痛のあまり言語化できない低い唸り声だ。ローマ書の著者であるパウロは、何らかの深刻な病を患っていたようである。彼自身、ただひたすら耐えるしかなく夜もすがら「呻いた」経験をしたことだろう。しかしパウロは希望を見失わない。被造世界も共に呻いているが、共におられる聖霊が自ら言語化できないような深い呻きによって執り成し、一切が良い方向へと働くという確信を抱いている。パウロは言う。「現在の苦しみは、将来われらに現されるはずの栄光に比べると取るに足りない。」(同18節)・・宣教開始から57年周年を迎えた先日、激しい雨が上がった夕空に鮮明な半円状の虹が現れ、教会堂の上に立つ十字架にかかって見えた。たとえ黒雲や雨風に覆われるような呻めきの中に置かれても希望を抱き、この虹のような栄光を仰ぎたいものだ。主の霊の働きによって栄光から栄光へと主と同じ姿に造り変えられる(Ⅱコリ3:16)将来を望みつつ。「主よ、わたしの唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います。」(詩編51:7)


2023,7,16(日)礼拝講壇生花 by ISHIMARU