「平和のいましめ」:申命記5章1−22節 ―平和月間―

78 年前の 8 月 6 日、米軍は広島市に原爆を投下。9 日には長崎市に投下された。太平洋戦争では 200 万人と も言われる若い人たちが徴兵されて異国の地に命を散らし、戦没者は約 310 万人と伝えられる。先日、ハリ ウッド映画 2 作品のコラージュ画像が物議を醸し出した。原爆投下をネタにする表現が発端だが、被爆者の 痛みや苦しみが届いていないという事か・・。93 歳の生涯を閉じるまで被曝体験を語り続けたカトリック修 道士の小崎登明さんは「他人の痛みをわかる人間になることが、平和の原点である」と常々伝えておられた・。 戦争の惨状を語る人が次々と世を去っていく中、戦場の地獄を生き抜いた元兵士中野静香さん(104)は訴え る。「あの戦争のどこが間違っていたのか<検証>していない」(毎日新聞 8/5 付)。日本バプテスト連盟は戦 時下における教会のあり方を検証し、総括として「平和に関する信仰的宣言」を採択した。これは「十戒」 をベースとして主イエスが実現させた平和を創り出す生き方が告白されている。戦争行為は神の命じられた 「十の戒め」全てに背く道へと向かわせる。「十戒」は、エジプトの奴隷として自由を奪われ、殺されていた 民の叫びを聞き、その苦しみと痛みを知られた神が、民と顔と顔を合わせて語られた平和のいましめであり、 契約である。殺される者の痛みを知る者は「殺すはずがない(原文の時制)」・・。主イエスは武器を持たず、 誰も殺さず、盗まず、偽証せず、貧しく弱くされた命と顔と顔とを合わせて共に歩まれた。人の痛みに寄り 添おうとする者は、真実に背を向けず、苦しむ者との対面を避けない。それは平和を創り出す道に繋がる。(2023.8.6)