「キリストの誠実さによって救われる」:ガラテヤの信徒への手紙2章16節

宗教改革においても掲げられた「信仰による義」。救いは、善行や修行など人間側の努力によるのではなく、「イエス=キリストへの信仰による」という。「信仰」と訳されたギリシア原語「ピスティス」は、「真実」「信実」「誠実さ」とも訳され、関係性を築く上で重要な「信頼性」を示す。かつて背信を続ける民に神は語られた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた」(エレミヤ31: 3) また、神は「不従順で、反抗する民に、一日中手を差し伸べた」(ローマ10:21)とも言われる。弟子たちは真実を否んで主イエスを裏切ってしまった。しかし、キリストは手を引くことなく変わらずに関係を構築し続けた。弟子たちが立ち直れたのは、そのようなキリストの誠実さのゆえではなかったか。神に義と認められるのは、人間側の踏ん張りや強さによるのではない。ただ、キリストの誠実さが人間を救う。救いへの要件は、優れた組織形態や教義、宗派が決定的要因になるのではなく、キリストの誠実さにかかっている。主イエスは決して裏切らない。このお方に対する信頼が主イエス=キリストへの信仰となる。(2023.9.10)