「主イエスを記念して」:ルカによる福音書22章14―23節 ―献身者デー

H教会のS牧師は、献身後に最初に赴任した教会を2年で辞することになった。他の教会からのオファーも断り、一般の会社に勤務するようになった。勤務終了時間が定まっている仕事に平安を覚えたという。その後、K教会から再び招聘の話が出た。「自分は前の教会で失敗した人間で、もう牧師にはなれない」と断ったのだが、「先生は傷付いておられる。でも、私たちが求めている牧師は、失敗したことの無い人ではありません。先生のその傷口からみ言葉を語ってください」と言われて奮い立ち、現在も牧師として教会に仕え、路上生活者への支援や少年院に行って宣教活動を続けておられる。主イエスは失敗し、傷付いた弟子たちを用いて偉大な働きを託され、世界中に福音を広げられた。主イエスは今もご自身のその打たれた傷によって、人々を癒される。キリスト教の礼拝の歴史的起源である主の晩餐は、「わたしを<記念>するためこのように行いなさい」という主イエスの命令に基づいている。「記念(アナムネーシス)」とは、それによって想起される人物や過去の出来事が「現在化」する意味をも含む。主の晩餐で主イエスがアナムネーシスされるとき、時間と空間を越え、今、ここで、ご自身を差し出される主イエスに招かれ、その恵みが分かち合われるのだ。(2023.9.3)