『主イエスは良い羊飼い』:ヨハネによる福音書 10章7-21節

主イエスが救いをもたらす存在であることが「羊飼い」に、彼を信じる者が「羊」にたとえられ、その信頼関係が語られている。また、「わたしは門である」という比喩も、救いの道に至るには主イエスを通っていくのでないと到達できない、という福音記者の意図が伝わる。「羊飼い」は「羊」をよく知っており、「羊」もだれが自分を守ってくれるのか?を知っている。自分の都合が悪くなると羊を見捨て、その責任を放棄する「雇人」との対比で明らかなように、「良い羊飼い」は、羊のために命まで差し出すという。主イエスは、神の身分でありながら世の中の最も低いところに降り、貧しい者となられた。世から見放され、群れから離れた人たちのところに行ってしもべのように仕えられ、裏切る弟子たちでさえも愛し抜かれた。罪のないお方が、すべての人の罪の責任を背負って、十字架にかかり命を差し出された。民の命を守るよりもカネを守るような為政者への不信が世にある中、主イエスは「わたしは良い羊飼い」であるとご自身を示しておられる。命までお与えくださったこのお方をわれらは知った。だからこそ、われらは主イエス・キリストにのみ従う。(2024.1.28)