『十字架への凱旋』:ヨハネによる福音書12章12−19節

本塁打王(2023)となったドジャーズの大谷選手。彼の活躍に対するファンの期待は熱い。現在はキャンプ場に高級車ポルシェに乗って登場するそうだ。約二千年前、キリストはユダヤの王と期待され、エルサレムに入城された。古代ローマ帝国の支配下で圧制に苦しんでいたユダヤの民は、「ホサナ(救いたまえ)」と叫び熱狂的にイエスを迎えた。彼を政治的な王(メシア)として期待したのだ。けれどもそのイエスは、颯爽と駆け抜ける名馬や、武装した戦車でもなく、「ロバの子」に乗って登場された。当時の人々が拍子抜けするかのようなこの出来事は、後に意味を深めていく。近年、「伏線回収」が見事な小説の物語や映画は評価が高い。ヨハネ福音書は、読者が「イエスを神の子と信じるため」と執筆目的が巻末に記されている。当初は理解出来なかったイエスの言葉、行為自体が伏線的な役割を果たしており、「イエスの十字架と復活」の出来事においてすべて回収されるような展開がある。イエスはエルサレムという場所で、十字架へと凱旋された。武器を取って敵を倒すためではなく、敵を赦すために。十字架によってご自分の命を与え、多くの民を罪から救うために。われらは人生の途上において理解できない経験に苦しむ事がある。しかし、全ては無駄でなく重要な意味が隠されている。イエスを神から遣わされた救い主(メシア)と信じ、このお方を深く知るという出会いによって、この書が伝えるイエスの行動、その言葉は全て自分の救いに関係があり、このお方を信じる者にとっては一切が神の愛として回収されていく。それは時代を超え、今も信じる者を救いに導くのだ。(2024.2.18)