『神が望んでおられる道』テサロニケの信徒への手紙第一5章16−18節

この世にはだれ一人として自らの意志で生まれた者はいない。「いのち」は、創造主である神の意志によって授けられるものだ。このお方を無視した人生からは、永続する喜びは決して得られず、虚しいだけである。創造主なる神の望まれる道を歩んでこそ、本来の「いのち」が輝く。各々の「いのち」には神のプランがあり、それは災いではなく将来と希望を与える神の約束である(エレミヤ29:11)。われらの歩む道は何時如何なることが起こるか知り得ないが、神は御心のまま一切の出来事を無駄にせず、益としてくださる。創造主が「いのち」を授けたからには、たとえ老いて無力になっても見放されず、神が共にいて背負い、責任をもって救い出される(イザヤ46:4)。神が望まれる道では、振り返るとそこには恵みが後を追ってくる(詩編23:6)。その道の先には、揺るぎない希望がある。われらが今、立っている道はイエス・キリストであり、主イエスが共に歩んでおられる道である。このお方にあってわれらは常に喜び、祈り、感謝の道へと招かれるのだ。(2024.4.7)