『喜びあれ』:ルカによる福音書1章26−38節

グノーやシューベルトの作曲でも知られる「アヴェ・マリア」。冒頭部分はルカ福音書にあって天使祝詞と呼ばれ、カトリック教会では毎日唱えられる祈祷文になっている。聖霊によって救い主を宿し、聖母(マドンナ)とされたマリア。プロテスタントでは聖母マリアにささげる祈りはないが、マリアのささげた祈りや信仰が聖書から分かち合われる。天使からの受胎告知第一声は「喜ぶ」という意味の動詞で二人称命令形。「喜びあれ」と相手の「幸い」を願う挨拶だ。しかしマリアを待ち受けているのは「喜び」に程遠い未来である。

誰も理解し得ない妊娠。家畜小屋での出産。異国の地での逃亡生活。貧しい暮らし。最大の試練は息子の十字架上での酷い死を看取るという母親として耐えられない経験だ。けれどもその苦しみは、世界中の人々に救いの喜びをもたらす産みの苦しみとして多くの人を生かす道に繋がっている。天使はマリアに「喜びあれ」と告げる。それは苦しみがなくなる事ではなく、その苦しみが救い主イエスと共に献身犠牲の愛となって世代を超えた人々を救い、全世界に尽きない喜びをもたらす恵みを開くからなのだろう。5/3は憲法記念日。平和憲法成立に貢献した鈴木義男(法学者・政治家)は晩年「私はキリスト教の精神を子どもの時から身につけてきたために大分損をしたよ」と、笑顔で「嬉しそう」に語ったという。真の喜びは献身犠牲の精神にある。(2024.4.28)