『幸いの方向転換』:ルカによる福音書11章27〜32節

イエスが語られたとき、群衆の中の女性が「あなたを宿した母は幸いだ」と感嘆した。彼女の幸いは、偉大な子を持つ母の名誉や誇りにあるのだろう。だがイエスは「むしろ幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る人である」と答えられ、幸いの基準を、何かを持つ「所有」という方向から、神との対話という「関係」へと転換される。幸いの方向が正しくなければ、どんなに多くを所有していても人は満たされず、気づかぬうちに他者と自分を比べて優越感や焦りさえも生み出していく。イエスの語る幸いは比較からの解放でもある。神の言葉を聞く人は、変わりやすい時代の流行や他人の評価ではなく、神の言葉によって生きる。そこには競争も、見栄もいらない。旧約のヨナは、神の言葉に逆らって逃げたが、方向を変えて従い、ニネベの町を救った。われらも神が望んでおられる道に心の向きを転換し、自分の正しさや所有の中に幸せを探すのではなく、神の言葉に耳を傾けて応答する幸いに招かれている。神を信頼して共に歩む者にとっては、人生を振り返る時、神の導きと守りの中で、私は「幸い」であったと気づく道に繋がっている、そう信じたい。(2025.11.2)