「このままでは危険だ」。深刻な病があることを知った医者が真実を告げるのは、相手の命を生かすためであって侮辱するためではない。イエスは当時の宗教指導者たちに最も厳しい真実を告げる。その言葉の根底には、本質を見失い、神から遠ざかっていく姿を深く悲しみ、相手が破滅へ向かう時に生じる痛みの叫びがある。ルカ福音書に描かれるイエスは、「失われた者を探して救うために来た」(ルカ19:10)お方である。彼らも例外なく「あなたを失いたくない」という神の愛の対象なのだ。相手に関心も愛もないのであれば、ここまで厳しく言う必要はない。しかし彼らは、見掛け倒しで腐敗していた内面を見抜かれるとイエスへの反発を強め、自分が変わることを拒む。隠れた内側の欺瞞(ぎまん)が真実の光のもと照らされることは、耐え難いことだったのだろう。人の心を見られる神は、人の評価や支持を得るため取り繕った清さや正しさではなく、ありのままの心、真実の心を差し出すことを望んでおられる。弱さを認めたら終わるのではなく、そこから信仰は始まるのだ。神の御言葉は光のようにわれらの心を照らす。その時、見たくない内面に出会うこともある。けれども神の御言葉をともし火として、神の愛とその言葉に留まるとき、少しずつ、内側から新たにされ、整えられていくのである。(20025.11.23)
