冷え込みが増す季節、抜け落ちる髪にため息をつく筆者は、「あなた方の髪の毛まで数えられている」(ルカ12章7節)という聖書の言葉に慰めを得る。人が自ら把握できぬ細部まで神は覚えてくださるのだ。ルカ福音書12章には、群衆の熱狂と敵意ある権力者に囲まれ怯える弟子たちに、イエスが「人を恐れるな」と語る場面が描かれる。聖書の語る「恐れ」には二種ある。人の視線や将来への不安に怯える恐怖の恐れと、神の偉大さに向けられる畏敬の畏(おそ)れである。前者は人を縛るが、後者はむしろ恐怖から解き放つ。主イエスは、限界ある人間への恐怖から、究極の権威者である神への畏敬へと、恐れの「向き」を変えるよう促した。神は雀一羽さえ忘れず、われらの命をそれ以上に重んじ守る存在だからだ。第二次世界大戦時、命のビザを発給し続けた杉原千畝は、政府よりも神を畏れ、結果的に6000名以上のユダヤ人の命をホロコーストから救った。ボンヘッファーは、ナチスの脅威下にあっても神の善き力、主権を信じていた。宗教改革者ルターは、圧倒的な巨大権力の下、「正しい者は信仰(信頼)によって生きる」(ローマ1章17節)の言葉に立ち、人を恐れず、神を畏れて従った。何が正しかったのかは歴史が証明する。彼らは恐れの向きを人間から神へと変え、真の自由と勇気を得たのだ。イエスは弟子たちを「友」と呼び、真の安心へと招いている。絶対的な神が味方であるならば、人の評価や脅しに過剰に怯える必要はない。この神の守りに信頼の根を下ろす時、われらは消耗させる恐怖から解放され、なすべき正しい道を歩むことができるのである。光は闇の中で輝く。主のともし火を輝かせよう。(2025.11.30)
