カレンダーが最後の一枚になり、街に師走の慌ただしさが満ちる頃、われらは「数える目」を持つ。成し遂げたこと、失ったもの、そして「来年もやっていけるか」という不安。そんなわれらに主イエスは語る。「思い悩むな」と。この言葉は原語で「心が引き裂かれる」状態を指す。明日への思い煩いで心を千切り、自分一人の細い肩で人生を背負おうとするわれらを、主は見つめておられる。太宰治の娘で作家の津島佑子氏は、人生の痛みや重荷の中で、「明日がある」という励ましが、今の自分を否定する「毒」になり得ると綴った。だが、ありのままの今を肯定するキリストの言葉に、深い安らぎを見出したという。命は生存競争ではない。効率や成果で価値が決まるものでもなく、神に愛され、今ここにあるだけで、あなたの命はすでに完成されているのだ。津波警報で今年何度も避難に向かう中、大槌町のある女性が語った。「水が来たら来たで、もう私は逃げない」。それは諦めではない。自分の命を自分で握りしめる「執着」を手放し、大きな存在に身を委ねて「今日」を感謝し生き抜く者の信頼、静かな覚悟のように思えた。われらの宝はどこにあるだろうか。預金口座や自分の計画は、時にわれらを縛る。だが、神が共におられるという宝は、錆びることも失われることもない。「恐れるな、小さな群れよ」。神は喜んであなたを背負い、必要を満たそうと待っておられる。この感謝と信頼を胸に、希望の新しい年へ踏み出したい。(2025.12.28)
