『起きよ、光を放て〜暗闇の時代、主に手綱を委ねて』:イザヤ書60章1-2,18-20節

2026年、午(うま)年の幕が開いた。世界は今、「強さ」という馬に跨り、経済繁栄や軍事力強化へと疾走しようと手綱を握りしめている。だが現実は、異常気象や戦火という「暴れ馬」が世界を駆け巡り、希望を覆う暗雲を払拭できずにいる。イザヤが「闇が地を覆う」と語った時代と、現代は重なる。それは人間が方向を見失い、自らの知恵や力、技術を万能と過信した結果招いた「混沌」の姿だ。先の見えぬ暗闇の時代、主の言葉が響く。「起きよ、光を放て」。これは、自力で立ち上がれない者の上に、既に神の救いの光が昇っているという「完了形」の福音である。闇の中で膝をつき、方向感覚を失った者への、神からの「再創造」の宣言に他ならない。ここで新年の謎かけを一つ。「2026年の希望」とかけて、「一流の騎手」と解く。その心は「どちらも、主(しゅ)の手綱さばきが命です」。日本の伝統武芸、流鏑馬(やぶさめ)に「人馬一体」という極意がある。馬と馬主が呼吸を合わせ自在に動く信頼関係だ。われらの歩みに繋げると神の御心のままに生き、主と一体であるかのような関係性、「人主一体」とでも言い換え得るだろうか。主は、いつかなる時もわれらと共に歩んでおられる。未来の道筋が見えず、視界不良であっても、「主があなたの永遠の光となり、嘆きの日が終わる」という主の約束がある。全ての道で主に信頼し委ね、希望への真の導き手である神の華麗な手綱さばきに今年も身を預けよう。