『痛みを知る者』:ルカによる福音書12章49-53節

作家の頭木弘樹氏は、自身の壮絶な闘病経験から「世の中には『痛い人』と『痛くない人』の二種類がいる」。その間をつなぐ必要性を痛感したという。(「痛いところから見えるもの」文藝春秋2025)痛みは本質的に孤独な体験であり、他者と比較できず、言葉で完全に伝えることもできない。溺れる者の苦しみは、水中の者にしか分からないのだ。聖書(ルカ福音書12章)には、イエスの激しい言葉がある。「私は地上に火を投ずるために来た」「平和ではなく、分裂をもたらす」。柔和で寛容なイメージとは異なるが、この背後にはイエス自身の深い痛みと孤独がある。彼は、不正や偽善がはびこる世界に真実の「火」を投じ、それが衝突や分裂を生むとしても、まやかしではない真の平和を実現しようとした。イエスは、自らが受ける十字架の死を「バプテスマ(浸礼)」と呼ぶ。すなわち死の苦しみに完全に浸されることだ。われらには未来の苦難を「知らない」という恩寵があるが、彼にはなかった。裏切りや残酷な死の全てをあらかじめ知っていたのだ。「知らない慰め」なきまま運命に向き合う苦悩は計り知れない。彼がその究極の孤独の底まで降りたのは、われらがどんな絶望の淵に沈んでも、そこに「すでに彼がいる」ためだ。福音とは痛みが消える魔法ではない。「どんな痛みの中でも絶対に一人ではない」という約束である。言語化できぬ痛みの水底で、イエスは共にいてわれらを支えてくださるのだ。(2026.1.18)