『愛は理屈を超えて手を伸ばす』:ルカによる福音書14章1−6節

春の気配が戻る頃、かつての震災の記憶がよみがえる。暗闇の中、この教会堂で分かち合った食事と小さな灯りが人の心を支えた。食卓は本来、命の喜びを分かち合う場である。しかしルカによる福音書14章には、食卓に緊張が走る場面が描かれる。安息日、宗教指導者の家で人々はイエスを監視していた。そこに水腫に苦しむ一人の人がいた。癒やせば律法違反とされる状況の中で、イエスは問う。「安息日に病を治すことは許されているか」。だが人々は答えない。しかしイエスは沈黙しなかった。目の前の苦しみに手を伸ばし、その人を癒やした。安息日とは本来、人を縛る日ではなく、神が命を回復させる日である。その原点を、主イエスは行為によって示した。人はしばしば、正しさや立場を理由に一歩引いてしまう。だが信仰とは本来、人を神へ導く橋であると同時に、人と人を結ぶものであるはずだ。にもかかわらず、その橋を守ることに心を奪われ、助けを求める声を聞き逃すことがある。神学者であり医師のアルベルト・シュヴァイツァーは、アフリカで苦しむ命に手を差し伸べ、「生命への畏敬」に半生をかけた。愛とは理屈ではなく、苦しむ者の隣に立つ勇気である。重い皮膚病患者に、沈みかけるペトロに、幼い子の頭上に、夕暮れ時、ご自分のところに来る病人らに両手を伸ばされる主イエス。その手は理屈を超えた赦しに向かって、今もその手に釘跡が残されている。戦禍に奪われている無辜の命。沈黙か、行動か。その問いが今も私たちに向けられている。神の国とは、苦しむ人が見過ごされない場所。小さくとも手を差し伸べるところに、希望の光は確かに宿る。(2026.3.15)