「彼はもう終わった・・」と、神と人から見捨てられる結末に思えたイエスの十字架。だが神は、主イエスを復活させ、死という命の終焉を復活の初めとされた。「復活」それは、死という絶望の先にある希望、悲しみの先にある喜びである。復活は、暗い夜が明けて到来する光であり、長く厳しい冬が終わり、春を告げる命の躍動である。人間が終止符を打つような出来事を神は句読点とされる。神のご計画の中では、人間の宣告するピリオドは大いなるカンマ(区切り)に過ぎない。絶望や挫折、そこから新しく展開する道、神が一切のことを良い方向に仕上げてくださる希望が存在する。われらは、ここに招かれているからこそ、未だ見えない将来にむかって生きる勇気を抱くことができる。冬から春へは瞬時に変わらない。また夜明けから朝焼けに至るまでにはさまざまな色合いがグラデーションのように存在する。そのようにさまざまな葛藤、迷い、疑いがあるのが人間の現実だ。しかし、復活という希望、それは水面下に投じられる一雫のように同心円状に畝りながら着実にわれらの中で幾重にも輪を描きながら波動的に広がっていく。復活という希望が心の中心にある限り、われらの命も主イエスと共に躍動するのだ。(2025.4.20)


30年前の地下鉄サリン事件で騒然となった霞ヶ関。続々と救急車が駆けつけるが搬送先が見つからない。もしかすると空気感染する恐ろしいウイルスかもしれない。もし院内感染が起きれば事は重大だ。人命救助のため一刻の猶予もない判断が求められる局面で「すべての患者を受け入れる」英断を下したのは、当時の聖路加病院院長、日野原重明さん。牧師の子に生まれ、105歳まで現役の医者であった彼は、講演で「命」はどこにあるか?と聴衆に問いかけた。彼は言う。「命」は、あなたの「時間」のことである、と。「時は金なり」と言うように時間は貴重で無駄にはできない。しかしそれ以上に尊く大切なのは「命」である。イエスは一刻の猶予もなく、先を急がねばならない途上にあって突如紛れ込んできただ難病の女性のために足を止められる。時間を使い、彼女の人生を知ろうとされる。周囲の人々はいらだち、無駄な時間と思えたかもしれない。けれどもイエスは彼女の時間を彼女の尊い命として、人生として大切にされ、重んじられたのだ。(2025.4.6)

世界は今、一段と分断の道へと進んでいるように思う。共感を土台として同じ価値観を持つ人との繋がりを強める一方、そうでない人とは関係を切る、あるいは関わらないほうがよいと。主イエスは、家族から引き離され、長い間社会から放置されていたひとり孤立する人と出会われた。「かまわないでくれ」と叫ぶ彼の名をイエスは尋ねる。見ず知らずの人、目の前にいても将来的に繋がりそうもない人の名前をわざわざ知る必要はない。名を尋ねる目的は、相手とこれから関わろうとする意思表示だ。「レギオン(軍団)」と名乗るこの人は、大勢の悪霊に憑かれていたと福音記者は記している。創造主である神を拒み、人間同士の関係を引き裂く諸悪の力は、人を孤立と絶望へと向かわせる。この人の「かまわないでくれ」は、悪霊の声であって、本心は「助けて」の叫びなのかもしれない。イエスは、この人を悪き支配から解放して再び家族のもとへと帰し、これからは孤立ではなく、自分に起こった救いの出来事を出会う人たちに証して多くの人と繋がる関係へと送り出された。われらもまた、イエスによって多様な価値観、それぞれに異なる困難や病、悲しみ、喜びの中にある人たちに繋がり、互いに生き合う道へと導かれる。(2025.3.16)

2011年3月11日午後2時46分。1000年に1度と言われる最大震度7の巨大地震が東日本を襲った。死者行方不明者は22,228名に及ぶ。東京電力福島第一原発事故によって発令された「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていない。事故から13年半かけて取り出せたデブリはわずか0.7グラム。1号機から3号機にある全体(推定880トン)の12億分の一粒だ。廃炉までの遠い道のり。14年経っても放射能汚染による影響は人々の上に重くのしかかっている。主イエスは、重荷を下ろすことのできないでいる者をきょうも招いておられる。イエスはご自身を「柔和で謙遜な者」と言っておられるが、それは「穏やかさ」という高貴なイメージよりは、当時のローマ帝国の巨大権力と圧力に屈するしかないガリラヤの人々、弱く無力な貧しい者たちを指す可能性がある。つまりイエスは上流階級にいる者たちの決め事によって、その下で働く人たちがどんなに酷い仕打ちを受けているか、その者たちの辛さ、無念さ、その同じ重荷を自分も背負っている、という意味だ。「原発事故、誰も罪を負わず」と新聞の見出しにあった。イエスは、だれも負おうとしない愚かな人間の罪を十字架によって負ってくださった。イエスは人生の苦しみ重荷を一人で担うのではなく、ご自身がともに担うと招く。そして「わたしに学べ」と言われる。真似ること、行動を共にするという意味だ。どんな痛みも犠牲も意味なく終わらない。十字架の死の先に復活の希望があったように、被災地の苦しみの先にも新しい命の光が差し込む事を信じて祈ろう。御国を来らせたまえと。(2025.3.9)

イエスが弟子たちと舟に乗り、湖を渡ろうとされた時、イエスは眠りにつかれた。その間に激しい突風が起こって舟が沈みそうになる。弟子たちはイエスを起こし、「先生、先生、溺れそうです(原語は「滅びる」)」と叫んだ。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけると静まって凪になった。イエスは言う「あなたがたの信頼はどこにあるのか」と。このエピソードは、突然襲いかかる突風や嵐が、人生における試練やトラブルの象徴として読まれ、イエスが眠っておられる状態は、自分を支え、導き、守るはずの神への祈りが聞かれず、神が沈黙しておられるように感じるときのわれらの不安を映し出すようにも読める。どんなに泣き叫ぶ乳児であっても、母親の腕に抱かれている中で安心するのか、すやすやと静かに眠ることがある。嵐は避けられない。老いや病、災害もなくなるわけではない、しかし、どんな試練の中でも大きな愛の御腕にしっかりと抱えられ、守られているという信頼を主イエスは問うておられる。何もできない無力さの中にあっても、決して孤独の中に放置しない神に信頼し切る。われらは後に気付くだろう。あの時も、あの最悪と思われた状況下にあっても、自分は神に抱かれ、持ち運ばれ、守られていたのだと。自分の信仰の力ではなく、神への信頼に救いがある。(2025.3.2)

芥川賞受賞作『ゲーテはすべてを言った』の著者・鈴木結生さんは、牧師を父にもつ幼少期からの文学青年である。高校2年でシェイクスピアの「不死鳥と雉鳩」を翻訳し、年間1000冊を読破するという彼の本に対する原体験は「聖書」であり、小説を書くきっかけは東日本大震災の体験が影響したようである。福島で育った彼は原発事故の混乱の中で、情報の錯綜や言葉への不信に直面した。それでも「信じるべきもの」や「正しい言葉」を問い続け、福島での思い出や経験を隠さず形にしたいと願い、それが創作への原動力となったようだ。主イエスは、真理は隠されても必ず明らかになると語られた。日本文化は和を重んじる一方で、波風を立てないために不正やいじめが見過ごされたり、都合の悪い事実を隠蔽するというというような悪き闇の力が現実社会にある。「和」と「真理」は対立するように見えるが、聖書は愛によってこそ調和することを示す。愛なき真理は鋭い剣となり、真理なき愛は曖昧な優しさとなって人を成長させない。真の「和」は衝突を避けることではなく、真理に基づいた関係の回復を意味するはずである。イエスは愛をもって時に沈黙され、語るべき時には大胆に真理を証した。われらは真理の言葉を内に宿している。それは決して隠れたままではいない。その光はどんなに隠そうとしても輝こうとする。たとえ弱さの中にあっても偉大な神の恵みと愛の光がそこから輝き出す。和は優しさから生まれ、真理は勇気から生まれる。そして愛はその優しさと勇気を一つにする。本当の和を築くために、真理の言葉を証しする者でありたい(2025.2.23)

約2000年前の「蓮の種」の発芽に成功した大賀一郎博士(1883-1965)。その種子は「大賀蓮」と呼ばれ、今や百倍以上になって全国に広がり結実している。大賀は中学時代に聖書の言葉に触れたようである。神の言葉は「種」、人の心は土地に似ている。大賀に蒔かれた神の言葉の「種」は、19歳でチブスに罹り進学を断念して失意にあった時、すでに根を張っていた。翌年の1902年1月、岡山基督教会にてペギー宣教師から洗礼(バプテスマ)を受けている。彼は内村鑑三に励まされて東京帝国大学・植物学科に進み、自宅を開放して聖書研究を続けながら植物学者となった。しかし彼の道は平坦ではなかった。同僚の教授からの圧迫、戦禍による自宅消失、貧困と闘いつつも兄弟を引き取って面倒をみたり、妻にも先立たれている。しかし彼もまた神の言葉に養われた一人なのである。人生の途上では自分ではどうしようもない出来事、生きる望みすら奪われそうになる事もある。しかし、その試練の中でこそ心が耕され、成長へと向かう事がある。土地は自らの環境を選べず、自ら障害を取り除くことはできない。しかしよい土地になるよう耕す存在がある。それは神だ。だから焦る必要はない。何千年経っても発芽し、花を咲かせる種のように、神の言葉があなたの人生に深く根を張り、あなたの内から恵みの水源を見出させる。ゆえに他人と比べなくともよい。神の言葉に力があり、命がある。成長させるのは神なのだから信頼して、前向きに生きよう。(2025.2.16)

対話型生成AIが作成したジョーク。題「SNSと承認欲求」人間:「最近SNSで全然「いいね」もらえなくて、居場所がない気がする…」AI:「それ、現実世界に居場所を作るチャンスじゃない?」確かにわれらの居場所はリアルなこの世界であるが、現代社会では学校や職場、家庭において「自分の居場所がない」と孤独や疎外感を抱く人が少なくない。ルカによる福音書8章1-3節には初代教会において重要な役割をもった12名の使徒をはじめ、当時は社会的な居場所を失っていた女性たちの名が記されている。それは主イエスの宣教が、包摂的な共同体として当時の社会的な常識や文化的背景、宗教的な境界を超えて行われたことを示している。五千円札の顔となった津田梅子は米国に留学中、日本で禁教令が撤廃された年に洗礼(バプテスマ)を受けた。帰国後は伊藤博文邸の家庭教師となり、華族女学校の教授に就任する。地位も収入も安泰な梅子であったが彼女はその居場所に違和感を覚えていた。当時の女子教育が文字通り「家」を居場所とする「嫁」入り道具の教養でしかなかったからだ。梅子は当時の社会常識にとらわれることなく、女性たちの可能性と活躍の場所を広げるための学校を創設し(現:津田塾大学)、多岐にわたる分野で社会貢献をする女性たちを世に送り出した。主イエス・キリストは、まさに性別や身分や職業、過去の経歴によって人をかたより見るのではなく、だれもが自らなすべき使命、居場所を見出す道へと導かれ、出会う人の存在を排斥するのではなく、すべて包んで行かれた。教会は包摂的な共同体として世に存在する。(2025.2.2)

ファリサイ派のシモン。彼は自分の正しさを基準として人を判断し、時に相手を見下しながら感謝も愛も見失っていたようである。主イエスは自己義認に生きている彼の名を呼び、断罪するのではなく「たとえ」をもって対話しながら配慮と愛を示される。「正しい答え」を出したシモンに主イエスは言われる。「多く赦された者は多く愛する」と。「罪深い女」として断罪されていた名もなき女性の行動は、彼女が経験した神からの赦しの深さに根ざしており、彼女の深い感謝の表れであった。かたや自己義認に生きる者は、神への感謝と愛を遠ざける。われらが見過ごしがちな事実は、神の目から見ればだれ一人自分の正しさを保持できない存在だということだ。神は善人にも悪人にも彼の太陽を昇らせる慈しみ深いお方、ゆえに主イエスは「人を裁くな」(ルカ6:37)と教えられる。どのような人にも回心の機会を与えておられるのだ。同じくファリサイ派出身のパウロもかつては、自己義認に生きた人物であったが回心し、神の恵みによって多くの働きを担った。彼は「私は罪人の中の最たる者です」(1テモテ1:15)との自己認識に達し、十字架のイエスによる赦しの愛と恵みを語り伝えた。いまわれらが生かされているのも神の愛と赦しの証しそのものである。感謝の応答を生きよう。「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからのです」(1ペトロ4:8)2025.1.27(日)

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