2022/05/08
衛生的な問題もあって乳児死亡率が高かった19世紀。ジャービスはMothers friendship...

2022/05/01
Mさんはかつてキリスト教学校で学んだが、卒業式の日に「聖書」を封印。神の言葉を排除し、自らの価値観で得られる道を選んだ。結婚をして育児をしながら幸せに生き、家族の幸せのためには努力を惜しまなかった。指導力のある姑との関係に悩んで心身の健康を崩しても、カウンセリングを受けて自ら立ち直った。自分と家族の幸せを保証したいと欲求はエスカレート。だがいつも何かが欠けていたという。得られた情報に振り回され、何が真実か求めていたある日。家事をしながらふと、排除したはずの神の言葉を思い起こし、教会へと足を運んだ。虚無感にとらわれる日々、足りない最後の一つが見つからないのではなく、もっとも必要な一つの事に気付かされた。再び聖書を手にしたMさんは主イエス・キリストを求めて生きる道に新しい命と望み、力を得た。・・瓦礫の中、鷲がじっと上を凝視している。一瞬身を縮めたかと思うとスパーンと大きな翼を広げて空高く舞い上がって行った。鷲は何を待っていたのだろう?風を待っていたのだ。気流に乗った鷲は、大空を自由に優雅に羽ばたいている。自らの力を落とした時に、疲れ果て望みが絶たれたかに思うその先で出会う恵みがある。それは、主を待ち望む者に与えられる新しい力である。われらも主を待ち望む時、失意や嘆きの先に神が用意される自由で喜びの場所へと運ばれる。信頼の翼を広げて恵みの気流に乗り、本来向かうべき場所に運ばれていくのだ。(2022/5/1)

2022/04/24
「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろっている」(2020年出版:すばる舎)には、著者ミツコさんの日常にある幸せが綴られている。帯には「月7万円の年金暮らしでこんなに明るいひとり老後」とある。老後資金に2000万円必要という試算が発表された後だけに目を引く。著者は元牧師。経済的課題の中でも豊かに生き、「幸い」を見出せるのは、何よりも今も神との関係に生きているからだと思う。人は誰もが幸いを求めて生きている。他人との比較による優劣、物質や余暇、財産や名誉から得られる幸福感は一時的なもので永続しない。ゆえに虚しくもなる。主イエスは、「心の貧しい人々の幸い」を説かれた。原語では「霊の貧しい」という意味で、神との関係における自分自身の弱さ乏しさを含んでいる。心砕け、頼るのは神のみであると信じて生きる。神に祈り、神にすべてを委ねて明け渡し、神を賛美し礼拝するのは、自らの豊かさではなく貧しさゆえである。しかし、そのように神ご自身を求め、待望して生きる道にこそ、天の国(神のお取り仕切り)があらわされ、神の偉大な力と恵みを知るのである。そこでは全部そろっている。朽ちず錆びない宝が備えられており、永続する「幸い」があるのだ 。」(2022/4/24)

2022/04/17
「主は復活された!」と、伝えられて約2000年。なぜ、この言葉が今も虚しくならず世界中で告げられるのか?群れから離れ、暗い顔つきでエマオへ向かう二人の弟子。彼らは大きな期待が失望に終わって自信も揺らいでしまい、失意のうちにもう弟子をやめる道を歩んでいたのかも知れない。けれども、その二人に復活の主は歩み寄って声を掛けられ、それとわからない姿で彼らに伴っておられた・・・。われらも失意を経験する時、顔を曇らせながら希望を手放し、心落ち込むまま道を歩んでしまう事がある。目指すべき望みに未だ到達し得ないエマオの途上を歩んでいる。しかし、復活の主イエスが歩み寄って一緒におられる。大概われらは自らの歩みを振り返る時、主が共に歩んでおられた、と後になって気付くのだ。聖書のみ言葉や意味の解き明かし、十字架と復活の証言を聞く時、なぜか引き込まれ、心燃やされる時がある。自分で獲得しようと躍起になっていた時ではなく、自らの力が抜け切った時に不思議に力や勇気が与えられる。復活の主イエスに捉えられ、希望の方からわれらに近付いているからだ。(2022/4/17(日)

2022/04/10
主イエスは十字架の前夜、自ら主の晩餐を制定された。「聖餐式」とも呼ばれているが、バプテストは「主の晩餐(式)」と呼ぶことを通例として来た。「聖職者」なども「教役者」と呼ぶのは、「聖」とされる対象を人間や制度に付与する事を避け、ただ主イエスを告白し、このお方を待望する信仰に由来する。世界は今、コロナの終息のみならず、ウクライナ・ロシアの終戦を待望している。どんなに聖人君子と呼ばれるような人物であっても神ではないのであり、本質的には不完全さを宿している。一人の人間に権力が集中してしまえば戦争という過ちが起きてしまう歴史を人類は負っている。いかなる人間の権威も、大切にされる礼典や儀式もキリスト御自身に取って代わるものはない。それはイエス・キリストを指し示すものであるがゆえにシンボル(象徴)である。ゆえに救い主を待望せずにはいられない。なぜ、愚かにも人類は同じ過ちを繰り返すのか。われらは人類を罪から救い、真の平和をもたらすキリストを告白し、主イエスの十字架の死を告げ知らせる。同時に主イエス・キリストの御国(支配)を待ち望む。主よ、御国を来らせ給え。(2022/4/10)

「食料がなくても、しばらく生きて行ける。でも、『希望』がなくては二日ともたない。北極では人間の原点に戻らざるを得ないんです」徒歩で北極海横断の偉業を成し遂げた大場満郎さんの言葉である。第二次世界大戦中、旧ナチス軍による強制収容所から奇跡的に帰還したフランクル博士も、生き延びた人たちは『希望』を最後まで捨てなかった人たちであったと記録している。コロナや戦時下にあって負の影響が希望を奪おうとする。しかし聖書は、「希望はわたしたちを欺かない」と言う。幼子は母親の胸元を安全基地として外や他者へと行動範囲を広げていく。何があっても自分はだいじょうぶなのだ、という根拠と確信。決して欺かれない絶対の信頼や安心感は生きる望みと力を強める。将来如何なる事が起こるか先行き不明な激動の時代にあって、神とその言葉を信じるという事は、如何なる事態にあっても最終的には自分は絶対にだいじょうぶと落ち着ける。そのような「希望によって歩む」事である。キリスト・イエスによって示された神の愛、それはわれらが常に生きる望みを見出す拠り所なのである。(2022/4/3(日))

「夜は近きにあり。過ぎ去ったものにはありがとう。来らんとするものにはよし」国連の第2代事務総長ダグ・ハマーショルド氏の日記に綴られた言葉である。近年再び注目を集めている彼は、敬虔なキリスト教徒であり祈りの人であった。在任中(1953-61)は戦争回避に尽力し、アフリカ諸国の独立と発展、平和維持に多大な貢献をしつつもその途上で飛行機事故により召された。事故の真相は今もベールに包まれている。ノーベル平和賞が贈られたのは彼の死後であった・・・。苦悩の日々にあっても感謝を綴り、来るべき試錬や危機すらも肯定し得る生き方。機内での所持品は「キリストにならいて」というタイトルの書籍だったという。主イエスは待ち受けている受難を前に祈り、来らんとするものによし、と神の御心を受け止め立ち上がって進まれた。そこにわれらの救いの道が備えられた。年度末最後の礼拝日。過ぎ去った出来事のすべてに「ありがとう」とは言い難いかもしれない。「感謝のいけにえ」(詩編107:22)とあるが、感謝を一粒の麦としてささげる姿勢は、多くの喜びと平和を収穫する恵みとして回収される将来を切り開く。国難に遭ったイスラエルの民は、悲惨な運命に翻弄されながら善き事に思えない苦難の過去を、自らにとって<善き事として>受け止めた(詩編119:71参照)。幸いも不幸と思える出来事もすべて無駄とせずに価値ある意義を見出し、成熟への糧を頂いたのだと<感謝な事として>受け止めてみる。万事を益とされる神の御心に望みを抱きつつ、来らんとする新年度も<よし>として迎えよう。(2022/3/27)

ウクライナでの戦争、頻発する地震。生活や命が脅かされるようなショックな出来事が相次ぐと、思考も行動範囲も思わず萎縮してしまう。だが神の言葉は、われらの思いと異なる側に導く。望みなき荒廃した大地に、居場所を広く確保するようにとの招き(イザヤ54:2-3)。イザヤ書40章以降、敗戦の悲劇を経験した民への慰めと共に神の救いの希望が語られていく。かつてキング牧師は「すべての進歩は不安定であり、一つの問題を解決しても、我々はまた他の問題に直面することになる」と語った。われらの生きる場所は、どの道に歩もうと安定を欠くのである。黒人差別と憎悪の矛先となって生きる場所を奪われる時代に彼は、憎悪は憎悪を増すだけだと、人間の思いとは真逆にある「敵を愛せ」という神の言葉を説いた。確かに彼は愛を語りながら銃弾に倒れた。だが、今の時代にあっても彼の言葉や夢、希望がわれらの心とらえるのはなぜだろうか。暗黒は暗黒を駆逐する事はできず、ただ光だけができる。ただ神の言葉だけが行き詰まりを駆逐する確かな希望なのだ。神の言葉は決して無に帰されず、神の言葉は現実化する。3/16宮城県は震度6強の地震に見舞われた。教会事務所の棚から1966年定礎式の際に参加者が書き綴ったカードがこぼれ落ちていた。新会堂建築の際に掘り出されたタイムカプセルに入れられていたものである。小さな伝道所として現実は厳しく、環境も最適ではない。にもかかわらず宣教の広がりを望み、新しい希望を託してささげられた祈りの言葉。56年前の色褪せ劣化した紙切れだが、その希望は今、現実となっており、闇夜に光る月のように神の言葉の確かさを照らす宝物となっている。神に栄光あれ。(2022/3/20)

首都キーフ(キエフ)では戦闘が激化。無差別砲撃によって学校や病院、避難ルートまで攻撃が繰り返されている。世界から孤立し無謀な戦争に突き進む姿は、第二次世界大戦の日本と共通するとの指摘もある。対話も制裁も通じないのなら武力によるしかないと、戦争をはじめた人物への怒りと憎しみは、独裁者を排除する方向に加速する。しかし、われらは神の言葉を聞かねばならない。「剣を鞘に納めよ。武器を取るものは武器で滅びる」と。いかなる大義名分があろうとも「殺し」が正当化されてはならない。プーチンと同じく東ドイツにいたメルケル元首相は彼とは真逆の指導者であった。民主主義を守り、多くの難民を受け入れる決断をし、原発からの撤退へと舵を切った。彼女の行動基盤は「わたしの信仰:キリスト者として行動する」(新教出版2018)の中で明らかにしており、社会における教会の役割を重要視する。教会は神の言葉、主イエスの教えを語る。それは時にわれらの思考の反対側へ導く。聖書はわれらが恐れる時、「恐れるな」と語り、「大きな喜び」を宣言される。預言者イザヤは、「剣」や「槍」という武器や抑止力が、「鎌」や「鋤」という戦いと真逆の農具に変えられる平和の幻を見る。教会は神の言葉、主の教えへと生の方向転換を示される。神の言葉は、戦争の反対を歩む生き方へとわれらを招くの だ。(2022/3/13)

創世記1章は、亡国の悲劇に絶望したユダヤの民に対する慰めと励ましのメッセージとして読まれた。「混沌」と訳された言葉は、都が瓦礫と化し、大地が荒廃する極めて現実的な悲惨さを表すと言われる。自分たちの暮らしが「形なく、虚しく」なった人々。無意味さと虚しさが生きる気力、喜びを奪い、深い闇の渦へと希望を呑み込んでいく。しかし、神は言われる。「光あれ」。こうして「光」が生じ、混沌から秩序がもたらされ、神の創造のわざがすべての命を育んでいった(1章)。それが苦難を経験した民に届く唯一の希望となったのだ。神の言葉には圧倒的な力と権威がある。神が言われると必ずその通りの出来事が生(な)る。東日本大震災から11年。原子力緊急事態宣言は未だに解除されていない。コロナ感染症は事態を深刻化させ、戦争はわれらを更なる暗闇に巻き込もうと希望を一層虚しくする。しかし、そこにも神の「光あれ」との言葉は響きわたる。混沌の地、暗闇の支配する深淵にあっても届く圧倒的な命の光、その光に照らされる時、われらには生きる望みが与えられる。「光あれ」とは、神の力強い命への肯定である。見える現実がどうであれ、神の言葉だけが唯一、確かな希望なのである。(2022.3.6))

さらに表示する