2025年度主題「キリスト・イエスにあって一つ〜包摂的共同体を目指して

「彼はもう終わった・・」と、神と人から見捨てられる結末に思えたイエスの十字架。だが神は、主イエスを復活させ、死という命の終焉を復活の初めとされた。「復活」それは、死という絶望の先にある希望、悲しみの先にある喜びである。復活は、暗い夜が明けて到来する光であり、長く厳しい冬が終わり、春を告げる命の躍動である。人間が終止符を打つような出来事を神は句読点とされる。神のご計画の中では、人間の宣告するピリオドは大いなるカンマ(区切り)に過ぎない。絶望や挫折、そこから新しく展開する道、神が一切のことを良い方向に仕上げてくださる希望が存在する。われらは、ここに招かれているからこそ、未だ見えない将来にむかって生きる勇気を抱くことができる。冬から春へは瞬時に変わらない。また夜明けから朝焼けに至るまでにはさまざまな色合いがグラデーションのように存在する。そのようにさまざまな葛藤、迷い、疑いがあるのが人間の現実だ。しかし、復活という希望、それは水面下に投じられる一雫のように同心円状に畝りながら着実にわれらの中で幾重にも輪を描きながら波動的に広がっていく。復活という希望が心の中心にある限り、われらの命も主イエスと共に躍動するのだ。(2025.4.20)