『恩赦の生涯』:使徒言行録26章12−18節

使徒パウロは以前、キリスト教徒を攻撃する迫害者であった。ダマスコ途上で復活のキリストに出会い回心。新約聖書にある多くの書簡を手がける大伝道者となる。パウロ回心の背景にはステファノのとりなしの祈りが思い起こされる。▼最近NHKで放送された『逆転人生「ヤクザから牧師へ 壮絶な転身 人生はやり直せる」に出演した鈴木啓之氏。番組では割愛されたが、かつて不誠実な夫が回心するに至る背景には妻による長年の祈りがあったという事実がある。▼人は誰もが恩赦の生涯だ。誰にも迷惑をかけない人間などいまい。身も心も本来あるべき正しさから離れ、的外れな生き方をするのが、聖書の語る罪人の原義だ。このままで良いのだろうかと時に迷いながら、自分の至らなさを痛感しながら、とあるきっかけで自らの正体に絶句しながら、それでも生きている。生かされている。恩赦は自分の功績によらず、ただ一方的に与えられる恵みだ。イエス・キリストは今もすべての者のために十字架につけられたまま、とりなし祈っておられる。ここに命を与えられた神からの恩赦、生かされる根拠がある。もっとも権威ある「ゆるし」が宣言されているからこそ人は変わることができ何度でもやり直せるのだ。あなたは祈られている。(2019.10.6礼拝説教より)