「『今日』という日のうちに」:ヘブライの信徒への手紙3章13節

かつて生き、共に歩んだ愛する故人に対し、わられはもはや何もなし得ない。ただ在りし日を偲び、人の生死をお取り仕切りくださる万物の創造主に心を向けつつ、「今」を生きる。それだけが確かな事だ。中世の修道士たちは「メメント・モリ〜汝の死を覚えよ」を合言葉に生きた。ユダヤでも「今日が人生最後の日、今日は人生最初の日」そのように生きよ、と教えた。昨日できた事が、今日もできる事の恵みを感謝。今日という日の出会いの中で、互いに励まし合う事の喜び。明日の事は神に委ねる希望を抱いて今日を生きる。マザー・テレサから神父になるよう勧められた片柳弘史氏は、死について次のようにたとえている。「芋虫から見れば、蝶になることは死。芋虫が、死んだ仲間を思って『あいつはもう地面を這えない。葉っぱを食べられない』と悲しんでいるとき、その仲間は蝶として空を舞い、花の蜜を吸っています。人間の死も、それと同じなのかもしれません。」<こころの深呼吸p.324教文館2017芋虫のような生であっても今日を精一杯に生きよう。(2020.10.18 召天者記念礼拝