「間に合わなかった・・・」娘の訃報が届いた時のヤイロの心は如何許りであろう・・。もしかすると、あの名もなき女性が途中で立ち入らなかったら、娘は助かったかも知れないのだ。ヤイロ自身の言葉や行動はこれ以降、一切記されていない。おそらく絶句というヤイロの沈黙の中で、無念さや怒り、自責の念が渦巻いていたと思う。「恐れるな。ただ信じなさい」と言われたイエスの言葉も、彼の心に届いていただろうか?時はもう戻らず、止まらず、イエスと共に先へと進んでいく。しかしその後、イエスは娘の手を取り、起こされたのだ。人々は大きな驚愕をもって驚愕する(逐語訳)。この死んだ娘の蘇生物語は、主イエス・キリストが死に打ち勝ち、復活されたという信仰から伝承された。われらはしばし後悔に駆られ、「時を戻す」ことに救いを見ようとする。あの時必死に止めておけば・・・、もっと早く手を打っていたら・・・。この娘はその後何年生きたのかは知り得ないが、再び死を経験する。現実は、たとえ時が戻っても再び悲嘆に出会うのだ。「恐れるな。ただ信じなさい」と語るお方は、時計の針を戻す生き方ではなく、進める方向に導かれる。彼と共に歩む先では絶望の扉が開かれ、復活いう真の救いが備えられている事をこの出来事は示している。(2020.11.22)