数千人の会食になりますがOKですか?

題名につき、コロナの時代ではNO。近頃はダメ尽くしだ。要請や規制は必ず差別や分断を生じさせる。イエスのもとに集まっていた数千人。おそらく人々は、彼を追い求めるしかない程に、生きる場所を失い、社会的にも差別の中で排除され、置き去りにされていたのであろう。彼らを見て腸が引き裂かれる想いで憐れむイエス。彼のもとでは男も女(1)も、どの町の住民でも、制限や差別なく、全ての人が何の分け隔てもなく満腹するという会食が実現する。一方、ヘロデ王の主催する祝宴に招かれた最近耳にする上級国民のような地元有力者らの会食。権力者の自己満足のための宴会はさぞ豪華だったのだろうが、そこでは正しい人が排除され、惨たらしい殺生が行われる結末。後味は最悪だ。対比的にこの直後に置かれるこの数千人規模の会食の話。集まっていたのは上級とは対照的な人々だが、素朴であっても喜びと愛が溢れているように思う。イエスのもとでは、わずかなパンと魚であっても、今あるものでOK。そしてそこにいる誰がいても問題ない。全ての人々が受け入れられ養われていく。そこでは萎縮も恐怖も分断もなく、皆の笑顔で満ち足りる光景が目に浮かぶ。彼のもとでは当時は宗教的差別をもたらす手洗いも、罪人との接触を回避するマスクも不要。彼にあって万事がOKとされていく。そのような喜びと笑顔に満ちた神の国の祝宴が実現していた。それは彼の人々の苦しみに共感共苦するような深い憐れみに根ざした愛から来ている。あなたもOK(※注1)マルコ原文のandres(男の複数形)は、古代ギリシャ語では男女を区別せず<人々>の意味という<田川建三訳著「新約聖書」訳と注1 p.247より>