『勇気を出せ。恐れるな』:マルコによる福音書6章45−56節

休みたくても休めず、疲れの癒えぬまま舟上にて逆風に難儀する弟子たち。彼らは湖上を歩行されるイエスを見ても理解できないし、彼だとわからない。狼狽し、混乱の中にいる弟子たちに声を掛けられるイエス。「安心しなさい」と訳されたサルセーオは「勇気(サルソス)」から派生した動詞と言われる。コリントの手紙などでは当事者と距離がある設定でよく見受けられる(第二コリント5:6,8,,10:1,2)。理解できない事柄への距離を縮めるには<勇気>が必要だ。おそらく弟子たちもイエスが死から復活し、その姿が見えなくなった後、彼と別れて寂しく心細く、離れていると思える時にこそ、この出来事が意味を持ち、困難に立ち向かう勇気を得たのであろう。一行は再び宣教活動を続け、イエスは町の人々を癒された。彼の癒しは、病気や病人に限定されず、面倒を見る、仕える事をも意味する。即ち、救いを意味する新たな神との関係の始まりなのだ。骨髄バンクのドナーは、患者の第一候補者となれば移植日に備えて健康診断と相応の管理が求められる。常に万全を帰し、健康体でいないと命は救えないのだ。イエスは復活の体という万全な姿で今も生きておられるからこそ、どこででも、誰とでも自由に出会われ、救いを与える事ができるのだといえよう。(2021.1.31)